最先端の院内システム
2020 年 7 月、北海道札幌市清田区に 58 床の入院病床を持つ新しい脳神経外科病院が開業した。札幌美しが丘脳神経外科病院は、脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)、脳血管障害や脳腫瘍、脳機能疾患などのほか、頭部外傷などを含めて専門の脳神経外科専門医が診察・治療をおこなう急性期病院であると同時に、脳卒中後の機能回復を担うリハビリテーション科も備えている。
新病院開設にあたり、検査機械は AI を搭載した 3 テスラ(テスラは磁場強度単位で数字が大きいほど解像度が高い)の MRI (磁気共鳴画像)装置、撮影時間が大幅に短縮可能で瞬時に脳内出血を判断できる 80 列 CT (コンピュータ断層診断装置)、1mm 以下の血管もきれいに撮影可能なバイプレーン血管撮影装置など大学病院レベルの最新機器が導入されている。最新機器の導入は医療機器だけではない。同院を運営する髙橋 明 医師 兼 理事長 は開院にあたり、紙の書類手続きが多い医療機関でとにかく紙と非効率な作業を削減することを最優先に、従来の医療機関のオペレーションをゼロから見直すことにこだわったという。例えば、同院には内線電話(医療用 PHS)は存在していない。内線電話・外線電話・ナースコールすべてに対応できる iPhone を導入することにより、スタッフの無駄な動線をなくしている。
同院で検査技術部 ディレクターを務める阪本 奈緒氏は、「以前勤務していた病院では、救急車の受け入れをしたら、救急患者受入れの連絡のため内線で 3 件ほど電話するのが当然だと思っていました。でもここにきたら グループ iMessage だけなんです。私達は普段プライベートでは LINE グループ使って一斉連絡しているのに、病院だと内線電話が当たり前で、”連絡は院内 PHS” と洗脳された状態でした。それを変えようと思ったこともありませんでしたが、今は iPhone で一斉にメッセージ送信されるので、時間のロスがなくなりました。」と iPhone 導入の効果を語る。
同院の髙橋理事長は、「電子カルテ側では音声認識に医療辞書を搭載した AmiVoice を利用しています。 iPhone での音声入力も、思ったとおりの変換入力ができています」と自身で音声入力した iPhone の画面を見せてくれた。ナースコールについても、従来型の病院ではナースステーションに戻り、呼び出し患者を確認するという対応になるが、iPhone であればナースステーションに戻ることなく誰が呼び出しているか iPhone 上の表示で確認できるので、即時対応が可能だという。
出退勤も iPhone で完結
「iPhone による恩恵で、一番の時間短縮や iPhone の効果を実感するきっかけになったのは勤怠ですね。当院では、勤怠管理と給与計算は ジョブカンを利用しています。導入当初は、ジョブカンの提供するサービスをそのまま使っていたのですが、タイムカードを入力するタブレットが設置してある場所に行ってログインし出勤ボタンを押すまで数回のクリックする手間がありました。現在は、iPhone から自分のネームカードの QR コードを読むだけになっています。」と言って、阪本氏はデモを見せてくれた。
「実はこのアプリは FileMaker Go で動いています。出勤ボタン・退勤ボタンを押す方法も考えたのですが、それだとスマートじゃないですからね。その日の朝一番に QR コードが読まれたら、それは出勤したということなので、出勤ボタンを押す必要はありません。次に QR コードを読めば、退勤ですし。もちろん修正できる管理画面はありますが、大勢のスタッフの方々が毎日出退勤ボタンを押すためだけにかかる時間が省けたのは良かったです。」と同院のスマートホスピタル実現に向けて二人三脚でアプリ開発をしている株式会社 DBPowers 有賀氏は説明する。また、DBPowers 社が提供するスマートホスピタルを実現するためのアプリは勤怠にとどまっていない。FileMaker をベースに構築された院内システムは、スタッフの手間をなくし従来の仕事に専念できるようにという想いを込めて髙橋理事長により「BISH system(BINOH ICT for the staff hospitalization system)」と名付けられ、スタッフの効率的な業務遂行と働きやすい環境づくりに貢献している。
紙の帳票がない世界
多くの医療施設において、大量の備品購入はかなりの手間がかかり、承認や納入後の管理も必要となる。しかし同院では、FileMaker Go の備品管理アプリの中からわずか数クリックで購入申請が完了してしまう。承認もアプリで完了する。データベースとして管理されているため、月間の消費量の分析なども可能になる。
医療現場ではどうしても紙帳票での運用が必要なものもあるが、医師の業務を効率化するために転記などはおこなわないようにする仕組みづくりを FileMaker で実現できている。
例えば救急車が到着し緊急手術が必要な場合には、手術同意書、麻酔同意書、輸血同意書、入院同意書など、10 枚程度の書類が必要になる。同院では、医事課が患者情報を電子カルテに登録、あとは医師が手術項目を入力するだけで、これらの書類が全て FileMaker 内にできあがる。病気に関する説明書など、患者に渡す書類で入力項目と診断画像の貼り付けが必要な帳票なども、FileMaker 内で完結することでかなりの時間短縮につながっているという。
この他にも院内での議事録の作成や閲覧、インシデント・ヒヤリハット報告など、院内スタッフが iPhone、iPad からも閲覧可能になっているが、権限設定もされており情報漏洩にも配慮したアプリとなっている。当然ながら議事録の入力もiPhone から入力が可能だ。iPhone は病院職員の間で日常的に利用されており、看護部長をはじめ多くの看護師が高速フリック入力をしている。
スマートホスピタルで患者に優しい病院を目指して
入院患者が検査や入浴の際、決して事故が起こらないように介助スタッフや検査担当者が患者の状態を把握している必要がある。把握すべき注意点は患者によって異なるだけでなく、患者のその時の状態によって変化する場合もある。
同院では医療看護支援ピクトグラムを採用し、患者の状態や制限事項などを表示している。通常ベッドサイドにこのピクトグラムが表示されているが、ベッドを離れた際は、患者の状態が確認できなくなるため、iPhone (FileMaker Go アプリ)で患者のリストバンドを読み取ると、その患者の最新のピクトグラムが表示される仕組みになっている。これによりベッドを離れた患者であっても、検査技師や理学療法士などが患者の最新の状態を確認し、患者の安全に配慮した介助対応が可能となっている。
開発者との対話に必要なこと〜未来へ向けて
スマートホスピタルの実現にあたって髙橋理事長が重要視したのはアプリ開発者とのコミュニケーションであった。「 IT の専門外の素人が一生懸命勉強して、ベンダーが作るシステムの仕組みを理解して、ここをこうして欲しいという細かい仕様変更を依頼する方もいるかと思います。実はそれは、エンドユーザとして自分で可能性を潰していると思います。例えば、勤怠管理システムの例でもいえることですが、『出退勤の入力がめんどうだからとにかく簡単にして欲しい』とリクエストすることで、コンサルタントとして有賀さんが現場を見て、最高にシンプルなアプリをFileMaker を使って実現してくれました。ただ、なんとかしてというだけで全てが良くなるわけではないので、やはり開発する側と使う側がミーティングをおこなって途中まで出来上がったアプリを確認しながらアプリの精度をあげていく必要があります。アプリ開発をお願いする場合に、限界を自ら決めないで目的を伝えることに集中することで開発者との間にコミュニケーションが生まれて、結果して良いものが生まれるのだと思います。」
開発する側の有賀氏も、「お忙しい中でも時間をいただき髙橋先生が目指すビジョンを様々な場面で共有できていました。そのビジョンを実現する、というのが各アプリの基本コンセプトになります。」と語っている。開院前から密にコミュニケーションをとり、髙橋理事長の目指すスマートホスピタル構想を有賀氏が深く理解し、共感できていたからこそ実現したアプリ開発と言えるだろう。
「電子カルテや医療機器に接続されたシステムなど病院内ではたくさんのベンダーが開発したソフトウェアが動いています。これらを連携の隙間を埋めてシームレスなオペレーションを可能にしてくれているのがFileMaker です。汎用性の高いソフトウェアなので、困ったことを解決してくれるのです。電子カルテに入力されたデータを FileMaker で読み出すことで転記をなくし、紙をなくし、スタッフが効率的に動くことができ、そこで生まれた時間を診療や患者さんとの対話に費やすことができる、そんな病院運営をこれからも続けていきたいと思います。
そのためには、アプリ開発者でもある有賀さんを中心とする DBPowers 社とも協力してアイデアを形にしていきたいと思います。5年後には iPhone でほとんどの業務が完結するようになっているというのが理想です。私にとって夢や理想というのは、トップダウンではなく、現場の医療スタッフや、外部のアプリ開発者を含めてチームで実現するものだと思っています。結果として、多くの救急患者を受け入れ可能になり安全な生活をこの地域で実現できることにつながっていくのだと思います。夢の実現に向けて着実に歩みをすすめていきます」と髙橋理事長はスマートホスピタルへの想いを語ってくれた。
【編集後記】
現在、App Storeで人気のゲームやビジネス App の多くは、日々アップデートを繰り返して改善と進化を続けている。多くの開発エンジニアはリリース前にユーザテストを繰り返し、ユーザ中心のデザインを重視しているため、ユーザの多くは直感的にアプリを操作し、操作に対して説明も不要になっている。不具合が多かったり、UI 設計が悪いアプリはやがてアップデートされずに消えゆく運命となる。DBPowers 社では有賀氏をはじめ、数名のアプリ開発エンジニアが医療プロジェクトに関わっているというが、既に運用停止したアプリもあるという。 DBPowers 社内でも誰が創ったアプリが未来に残るのか開発エンジニア同士で気にしているそうだ。まさに DBPowers Store で、アプリ生存競争が北海道の医療施設を中心に熱く展開されている。
一方で多くの企業や医療機関が利用するのは Water Fall 型で開発され、仕様確定後はユーザからのフィードバックを基本的に受け入れ難いベンダーロックイン型のアプリケーションが多い。このような開発手法で構築されたシステムが運用され、非効率な運営となっているケースは残念ながら未だに多い。ユーザ視点で開発を実施するためには、コンサルタントの選択と同時に開発会社のアプリ開発へのポリシーがユーザ中心であるかの確認や、それを受け入れられるアプリケーション開発プラットフォームを採用しているのかが重要な鍵を握るのかもしれない。
札幌美しが丘脳神経外科病院におけるスマートホスピタルの取り組みは、ITvision No.44 の記事「医療法人美脳 札幌美しが丘脳神経外科病院 iPhoneとFileMakerを活用した“スマートホスピタル”を構築して安心で安全な医療を提供」でも紹介されています。