熊本地方卸売市場 (くまもと田崎市場) で、鮮魚のセリ売買を取り仕切る大海水産株式会社。漁業者から集めた鮮魚をセリを介して仲卸業者などに売り渡すのが主な業務で、毎日活気あふれるセリを行っている。
くまもと田崎市場の中核を担う同社は、2021 年には「熊本県SDGs登録事業者(第1期)」に認定されるなど、食の安全、安定供給を通じて地域、社会にも貢献している。2023 年には、水産物情報のデジタル化によるさらなる食の安全確保と、くまもと田崎市場の活性化による魚食の普及を目指して「大海水産DX計画2023」を打ち出し、それを支える自社の社員や水産業全体の幸福度の向上、業務プロセス改革への取り組みを始めている。
同社ではセリで売買する商品の管理に「水帳 (みずちょう)」と呼ばれる紙の伝票を利用している。これは鮮魚の種類や仕入れ先名、競り値、買い手名といった取引内容を記録するもの。各情報はセリの最中に記入され、セリ終了後に事務所に持ち帰り、営業事務担当社員の手によりデータ化されて、基幹システムに反映される。
1 日に扱う水帳の数は 500 枚にのぼることもあるため、入力作業に時間がかかり、煩雑になるのは想像に難くない。
セリが終了する朝 7 時の時点で、売れた魚自体は買主の元に届いているが、手作業での入力を終え、納品書などの伝票が買主の元に届くのは午前 11 時ごろになる。この時間を前倒しできれば、自社内の業務が効率化するだけでなく、買主である仲卸業者や鮮魚店、飲食店側も現行よりも早く事務作業を始めることができ、業務効率化につながる。そう考えた同社は、社内外の業務効率化を実現すべく、水帳のデジタル化に着手した。
一般的なシステムではセリのスピードに追いつけない
水帳のデジタル化プロジェクトがスタートしたのは 2020 年ごろ。ただ、スタート前から紆余曲折があったと、大海水産 総務部 管理課の岩永 啓聖 氏は語る。
「それまで 3、4 社のシステム開発業者に打診したのですが、いずれも『セリで利用可能なシステムの構築は難しい』という返事でした。というのも、セリは 1 件 3 ~ 5 秒で売り先と価格が決まっていきます。そのスピードに対応することがネックだったのです」(岩永氏)
そして「最後の砦」のような気持ちで連絡を取ったのが、同じ熊本県内で Claris FileMaker を使ったシステムの構築支援を行う株式会社リアルワークスだった。同社の代表取締役を務める戸田 博公 氏は、連絡を受けた当時のことをこう振り返る。
「はじめにお話を伺った際、セリのスピードについていくシステムを構築するのは、確かに一般的な方法では難しいと思いました。しかし、FileMaker を使って工夫を施せば、実現は決して不可能ではないと考えたのです」(戸田氏)
現場の意見を丁寧に反映することが使い勝手向上の秘訣
プロジェクトは、まずプロトタイプのカスタム App を短期間で制作し、実際に試してフィードバックを得ながらブラッシュアップしていく形で進行している。
今回構築したカスタム App では、複数の入力欄に同じ内容を一括入力するボタンが用意されているが、これもその過程で実装された機能だ。紙の水帳は、1 枚に横書きで 10 行分の取引が記入できるが、例えば複数の取引で同じ取引先が並ぶ場合、1 行目だけに取引先名を記入し、それ以降は行にまたがるように斜線を引けば事足りる。一括入力ボタンは、そうした紙の手軽さをカスタム App でも実現するためのものである。
また、仕入れ先 (荷主) 名、買い手 (買主) 名、品名は、以前から利用されており、セリに携わるスタッフなら確実に記憶しているコード番号で入力できるようにしているのもポイントの 1 つ。荷主名や品名はセリが始まる前に登録しておくので、セリ中に入力するのは買主名と競り値になるが、この仕組みがあれば、瞬時に入力できるというわけだ。
さらに、カスタム App からサーバへのデータアップロードの仕組みも工夫されている。入力の都度、サーバにアクセスするとジョブの処理待ち時間が生じるため、セリ中はオフラインで入力作業を行い、後でデータを一括送信する機能を搭載した。オフラインでも利用が可能な FileMaker の利点も活かしたこのような工夫により、セリという特殊な現場で求められるスピードに対応できるようにしているのである。
また、手書きでメモが記入できる欄や、カスタム App からデバイスのカメラを起動して写真が撮影できるボタンなど、使い勝手をさらに向上させる機能も実装。
手書きメモは、荷主である漁師の船名など、細かい情報を記入するのに利用されている機能だ。単純にデジタル化するだけでなく、紙の使用感に近くなるよう表示サイズなどを工夫して視認性にこだわり、利用者からの評判も上々だという。商品が入る発泡スチロールに記載された商品重量などの情報を瞬時に残しておける写真撮影機能と組み合わることで、紙ベースの水帳以上の使い勝手を実現することに成功している。
なお、カスタム App は 12.9 インチ iPad Pro で利用されているが、このデバイスを選んだ理由について岩永氏は「視認性と操作性を考慮し、ディスプレイサイズが大きかったことと、処理速度を考えて性能の高さを求めた」からだと説明。実際に使ってみると、そのような条件を満たしながら、持ちやすく、モバイル性に優れている点も気に入っているとのことだ。
自社だけでなく、水産業界全体の働き方改革を見据えて DX を推進
現在、このカスタム App の本格稼働に向け、試験的な導入が進められている。大海水産では、セリを通さず、直接売主に販売する商品も取り扱っており、まずそのような取引の伝票からデジタル化に着手。試験的な導入であるものの、すでに手ごたえを感じていると岩永氏は話す。
「実際にカスタム App を導入し、活用しているところを社員が目の当たりにすることで、デジタル化が業務効率化に貢献することや、その必要性が社内に浸透したのは大きな成果です」(岩永氏)
加えて岩永氏は、今回導入したカスタム App について「直感的に動かせて使い勝手が良い」と評価する。しかしその使い勝手の良さを実現できたのは、Claris FileMaker を活用しているからこそだと戸田氏は強調する。
「iPad 用のカスタム App であっても、FileMaker Pro で簡単に変更できるため、通常は反映させることが難しそうなご要望でも簡単に実現できるのは本当にありがたいです」(戸田氏)
大海水産では、この 2、3 年を目途にカスタム App のセリ取引への本格導入を目指す考えだが、それと同時にこの取り組みが水産業界全体へ波及することを期待しているという。
「現在、事務所での伝票入力にかかっている時間をデジタル化によって短縮することで、自社の業務効率化だけでなく、業界全体に好影響を与えたい」と岩永氏。
同社の DX を支える戸田氏も「業界を牽引するような企業が率先してデジタル化や働き方改革に取り組んでいることが市場に与える影響は大きいです。その取り組みに FileMaker が貢献できていることが嬉しい」と語る。
コロナ禍で日本の食環境が変わったのは周知のことだが、当然 市場にも大きな影響があった。一時は外食店向けの大型高級魚より、家庭でも扱いやすい種類へと売れ筋が変化し取引量も減ったが、徐々に以前のような活況を取り戻しつつあるという。また、働き方改革はあらゆる業界で叫ばれており、水産業界も例外ではない。
このようにさまざまに環境が変化していくなかで、同社の取り組みが今後の水産業界にどのような変化をもたらしていくのか ? その動向から当分目が離せなくなりそうだ。
【編集後記】
今回紹介した取り組みは、地元の水産業を牽引する地方企業が自社だけでなく、業界全体の働き方改革を実現しようと積極的にデジタル化を進めているという点で、非常にユニークな事例であると言える。さらに、それを実現するために、Claris パートナー・メンバーであるリアルワークスが、現場に寄り添いながら、Claris FileMaker のポテンシャルを最大限引き出しているところも印象的だ。プロジェクトの成功には、パートナー同士の信頼関係とパーパスが重要なことに改めて気づかせてくれるインタビューであった。