事例

資料のデータベース化で偉人の頭脳を再現――中村元記念館の収蔵品管理デジタル化に迫る

すべてを把握しきれない、3 万点を超える収蔵品

インド哲学や仏教学をはじめとした東洋思想研究の世界的権威として知られる哲学者、中村 元 博士( 1912 ~ 1999 年)。その業績の顕彰を目的として、2012 年に設立されたのが、博士の生まれ故郷、島根県松江市にある特定非営利活動法人 中村元記念館東洋思想文化研究所である。

同館では、博士にまつわる膨大な量の資料を所蔵している。その種類は多岐にわたり、約 3 万 4000 点にのぼる蔵書をはじめ、原稿、日記、学生時代のノートや成績票、書簡、出生時のへその緒までそろっている。

中村元記念館には膨大な蔵書に加えて、中村元博士の遺品も多数展示されている

これらの資料は博士の遺族から寄贈されたものだが、中村元記念館のスタッフは、その数が膨大であるがゆえに、細かく管理しきれていなかったことが課題だったと振り返る。

「いずれも貴重な資料であることは明らかですが、膨大すぎてその全容が把握できず、死蔵させている状態でした。しかし、資料の紛失リスクや、有効活用することを考えると資料情報のデータベース化は必要不可欠だったのです」

「膨大な収蔵品を管理したい」現場の声に応えたカスタム App

そして 2021 年、資料情報をデータベース化すべく、Claris FileMaker で開発した資料管理用アプリ「スサノオブック」の運用がスタートした。同アプリの開発は、同じ松江市にあり、FileMaker による業務システム開発などを展開している株式会社グラスが担当した。

データベースを構築するにあたっては、FileMaker を利用することはすぐに決まったという。元々、業務システムなどに利用しており、使い勝手のよさを実感していたことがその理由だ。とはいえ、本プロジェクトは膨大な情報を扱うデータベースの構築となるため、当館職員とかねて付き合いのあったグラスにサポートを仰ぐことにした。

スサノオブックに登録する情報は、資料名や内容、大きさ、資料の写真のほか、保管している箱の番号や、博士の自宅のどこに保管されていたかなどもあり、非常に細かい。

中村元記念館のスタッフは、「データベースの構築は、博士の頭脳を再現する取り組みだと捉えて作業を進めています。『データを参照すれば、博士の自宅をそのまま再現できる』くらいの気持ちで記録しようとしているのです。そうすることが後世の研究者にとって大きな財産になると考えているからです。そうなると入力する情報が複雑になるのは仕方ありません」と説明する。それは、博士がどのように資料を分類していたかという思考の過程も貴重な情報だと捉えているからである。

スサノオブックのメニュー画面。資料名や内容のほかにも収蔵品が博士の家のどこで保管されていたか等、細かい情報まで登録が可能

スサノオブックでは、収蔵品の名前から保管場所、収蔵品が収集された場所までを一覧で確認できる

複雑かつ緻密な情報が求められるからこそ、作業を進めるにつれ、登録項目の過不足に気付くこともしばしばだという。

そうなれば、当然スサノオブックの仕様変更が必要になる。開発を担当したグラス 代表取締役 大谷 辰夫 氏は、FileMaker を利用していたからこそ、頻繁な仕様変更に迅速に対応できたのだと強調する。

「正直、FileMaker でなければ、ここまでの仕様変更に対応するのは難しかったと思います。ローコードで開発できる FileMaker のメリットを生かし、計算式をデータベースの中に組み込むなどして、ある程度の修正なら、スクリプトを変更せず対応できるようにしたことが功を奏しました。恐らく、ほかの開発環境では、このようなことは許されないでしょう。FileMaker だからこそ、柔軟かつ迅速に修正できる環境を構築できたのは間違いありませんね」

データベースを一般公開し、いずれは東洋思想研究の中心へ

資料の登録作業は、各項目のテキストの入力のほか、データベース上でどのような資料かが一目で把握できるように資料写真も登録していく。この際に利用されるのが、iPadiPad mini だ。持ち運びやすさとディスプレイの視認性、そのバランスの良さでこれらのモデルを採用した。実際に使ってみると、資料の写真撮影とデータベースへの登録が 1 台でこなせることや、スタイラスペンが利用できる点にメリットを感じているという。扱う資料の中には、日本語にはない漢字はもちろん、ヒンディー語などに使われる「デーヴァナーガリー文字」など、普段は馴染みのない文字もある。そのような文字でもスタイラスペンで記入し、翻訳アプリを使用することで登録を簡単に行うことができるのだ。

膨大な資料を保管する中村元記念館では、資料整理などに iPad は欠かせない存在となっている

なお、登録作業がある程度進むと資料は収蔵されるが、その際にスサノオブックで発行したバーコードをラベルプリンタで印刷し、資料の包み紙や収納する箱に貼っていく。このバーコードを iPad で読み取れば、同アプリ上に該当する収蔵品の情報が即座に表示されるようになっている。この仕組みにより、箱や包み紙をむやみに開ける必要がなくなったので、資料の保護が万全になった。また、資料を参照する際の手間が軽減したことは言うまでもないだろう。

資料を収納する箱にはそれぞれバーコードが貼ってあり、iPad で読み取ることで収納されている資料の情報がひと目でわかるようになっている

資料のデータベース登録作業はまだ道半ばであるが、それでもスサノオブックを活用するメリットは大いに実感できているという。

「どのような資料があるのかが俯瞰できるようになったことで、展示の質が向上しているのは間違いありません。また、これまでは展示資料の準備は、すべて学芸員が 1 人で行わなければいけませんでしたが、現在は作業を分担することが可能になりました。スサノオブックを参照すれば資料の保管場所が一目瞭然なので、『この資料とこの資料を出しておいてください』と、ほかのスタッフにお願いできるからです。おかげで、1 週間かかっていた準備作業が、1 日かからずに終わることも珍しくなくなりました」

収蔵品 の分類や製作年、保存場所などの詳細情報を登録しておくことが、スタッフの作業負荷軽減だけでなく展示の質の向上に寄与している

このように語るのは、中村元記念館の学芸員である。展示の準備作業の手間が減ったおかげで、調査、研究などの業務に時間を充てられるようになったことに大きなメリットを感じているようだ。

では同館では、さらに資料の登録が進むと、どのような価値を享受できると考えているのだろうか?この点について尋ねるとスタッフの 1 人から次のような言葉が返ってきた。

「データベースの登録がある程度進んだところで、一般に公開して、全世界から利用できるようにしたいと考えています。世界中の研究者が利用し、さらに情報が追加されることで、このデータベースが世界の東洋思想研究で中心的な役割を果たすことを期待したいですね。おそらく、中村博士もご自身が残した資料がそのように利用されることを望んでいらっしゃったと思います」

【編集後記】

博物館は、情報資源が集積される施設の代表格だといえる。そのような施設で情報資源のデジタル化が進めば、博物館内だけではなく社会にとっても大きな価値を生み出すことは想像に難くない。しかしながら、日本にある博物館のうち、デジタル化が進んでいない施設もいまだ多くある。そのような状況のなかで、資料の保全や情報資源の高付加価値化を実現するべく、デジタル化に向けた一歩を踏みだした中村元記念館の取り組みは非常に意義深いものだ。このようなソリューションの活用をきっかけに、同様の取り組みが全国に広がることを期待したい。

なお、スサノオブックは無料版で試用することもできるので、所蔵品のデータベース化を検討されている場合は、ぜひ試してみてほしい。